インパールを本格的に回っていきます。インパールの主要観光スポットは市内から比較的近い所にあるので基本徒歩で行くことができます。
まずはホテルの朝食。一泊4000円でピカピカの部屋で市内が一望出来て極上の朝食がついてくるオーロラホテルは本当に最高。
ロティ(薄いナン)と薄味のカレーとコーンフレークを頂きます。上品で美味しい。


インパールってどんな所?
ちょっとインパールについて簡単に紹介をしておきたいと思います。
タイトルに英軍墓地とあるように日本軍のインパール作戦により戦史に残る戦場となった場所である事と元々少数民族がインドから分離独立を目指していた地域であります。
キーワード
- インパール作戦
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- 白骨街道
- チャンドラボース
- ナガ族
- 日本組織の欠点
- マニプル州のインドからの独立紛争
インパール作戦については様々な資料がありいろんな角度から検証したり情報を得たりする必要があるので当ブログでは内容についてはここまでにしたいと思います。
多くの若者が祖国に帰ることができず現地で亡くなってしまった事は事実です。
また現地の資料や話を聞くにどこの軍に所属しているかに問わず若い兵士に対しては同情的で世話をする現地の村人も少なからずいたようです。
インパールはマニプル州の中心地なのですが長い間インドからの独立を目指して戦ってきた地域でもあり2010年にやっと外国人に対して開放され未だに空港を出る前に色々尋問もされるのは前回記事でも書いております。
インド社会はかなり複雑。写真左がマニプル州で主流の文字で右はインド紙幣ですが何と15種類の文字が記載されています。


英軍墓地へ
日本人としては日本軍慰霊碑は先に行きたいところでしたが前日に食べた激辛チャーハンが当たったせいか寒暖差の激しい気候のせいか体調不良なので市街地から近い所にある英軍墓地を徒歩で目指します。
場所はこの辺り。Imphal War Cemeteryと書いてあるので訳すとインパール戦争墓地ですが埋葬されているのは英軍の方々のようです。
体調不良を押して市内を歩いていきます。町を歩いていると町中に兵士がいることに気が付きます。分離独立を狙う少数民族エリアではある光景かなと。中国でも同じですね。
そしてストライキを呼びかけるビラが町中に張ってありインド政府を困らせる内容です。


市中心部からは徒歩30分ほどです。分かりにくい場所にありますが近くの街道沿いにこの看板が出ているのでその通りに進みましょう。

入口は閉まっているようでしたか近くに管理人さんがいるので開けてもらいましょう。
入口正面の十字架が一つ目印。日本との戦いの経緯も書かれているので是非見てみましょう。


お世辞にも手入れが行き届いているとは言えません。。。草がボーボーなので間違って墓石を踏みそうになってしまうので注意しましょう。




イギリス軍にも大きな損害が発生していることが分かります。
現場で亡くなられているのはやはり30歳以下の若者が半数以上のようでした。
理由はどうであれ若くして異国で死ななければならないのは悲しい事です。

現在の墓地は若い子がピクニックしていたり(笑)現地住民が散歩していたりといたって平和な雰囲気が漂っていました。
マニプル州立博物館
その後マニプル州立博物館にも行きましたが撮影禁止でしたので地図だけ載せておきます。
マニプル州の自然や民族について色々紹介されているのでおススメです。
POLOグラウンドは由緒正しい歴史が
州立博物館の横が由緒正しい歴史を誇るポログラウンドですがポロという競技と歴史に詳しくないと普通のグラウンドに見えてしまいますね(笑)馬に跨って走るスポーツなのでグラウンドがかなり広いですね!
因みにポロシャツはこのポロという競技のユニフォームが起源のようです。

紛争地域やこのような戦争墓地に来ると色々考えることが多いのですがそれについてはインド編の最終章で筆者の考えを少しだけ書こうと思います。
一部始終を動画にもしているのでこちらもどうぞ。
撮影はgopro8です。機能も画質も格段に良くなっている12が欲しいとこです。
次回も引き続きインパールのお話。
ではでは!