インパールは筆者にとっては中々居心地のいい小さな地方都市でデリーのように大気汚染も激しくなく、観光客から金をかすめ取ってやろうという輩もあまり見かけません。
裏を返せばあんまり観光客が来ていない地域であるとも言えますね!
筆者もインパールにいる間は自分以外の外国人観光客を見かけることがありませんでした。
多くの日本兵が散ったレッドヒルへ
直訳すれば赤い丘。なぜ赤いのかと言われるとこの丘でイギリス軍と日本軍の激しい戦闘がおこり日本兵の地で赤く染まったと言われていることから現地の方からはレッドヒルと言われています。レッドヒル近くには慰霊碑と平和博物館があります。
筆者がインパールへ来た最大目的もここへ来るためです。
市街地からは18キロほど離れた場所にあります。インパール空港からも近いので空港に降り立ってからそのまま行くと近いです。
筆者は霊の存在には否定的な立場ですが、このような場所へ来ると金縛りにあったり体がずーんと重たくなったりすることがあるので精神的な感受性が強いか霊的な何かがあるのかもしれません。
上記地図で分かるように市街地からは国道2号線で一本です。
この道もウン万人の若者がここで命を落とし大量の人骨が出てくることから白骨街道と言われている道の一部分です。

ミャンマーから補給も物資も大してない中でここまで来て英軍と戦うのは並大抵ではなく、どのような精神状態であったのかぬくぬく育った私には想像できません。
ロトパチン村の方が建立した日本軍慰霊碑
ロトパチン村の村長が日本兵の勇敢な戦いぶりに感銘を受け、また餓死した日本兵を弔うために村人に呼び掛けて建立したそうです。手入れもされていて普段からきっちり管理されていることがうかがい知れます。

慰霊碑には戦没者へ贈る言葉が刻まれています。


おびただしい数の遺体をこの慰霊碑横にある炉で火葬していたのだとか・・・・当時をイマジネーションするだけで心が重くなり色々考えてしまいます。無念だったでしょう。
写真左は日本軍が使用していた速射砲。


インド平和記念碑
インド軍がメインで慰霊されているのが日本軍慰霊碑に隣接しているインド平和記念碑です。
緑色の看板が出ているのですぐにわかると思います。
奥には3つの石が置かれておりインド人、日本人、英国人を慰霊しているのだとか。




平和博物館
上記インド平和記念碑から丘に沿って更に奥へ進んでいくと平和博物館があるので是非見てみましょう。当時の貴重な資料が残されていますが中は撮影禁止なので写真は外観のみ。
出口のところに記帳台がありますので感想などを書いておきましょう。3~5日に一回ほど日本人が来ているようで意外でした。


周辺の村を見渡す中々のどかでどこか懐かしい感じもします。


インド平和記念碑の横に屋台が出ているので昼食。焼きそばってどこの国で食べてもおいしい。


慰霊碑への行き方
他の方の旅行記ではトゥクトゥクをチャーターして500~700ルピーと書いているケースが多いのですがレッドヒルまで行くのにチャーターは不要と考えています。
インパール市内にたむろしているトゥクトゥクはそれぞれ行き先が決まっていてトゥクトゥクの窓に行き先の地名が張ってあります。
たとえば空港行ならAIR PORT、ナンボル行ならNAMBOL。
慰霊碑へ行くのであれば慰霊碑の先にあるOINAM行のトゥクトゥクに乗って慰霊碑で下ろしてもらうように運転手に言えばOKです。乗り合いトゥクトゥクですが人が多いのですぐに出発します。
料金は片道50元。
インパールへ戻る際には道端で手を挙げてIMPARと貼られているトゥクトゥクを捕まえればOK。
筆者は少し村の散策がしたかったのでのどかな田舎道(白骨街道)を歩きながらOINAMの村まで3キロほど歩いてみました。
思いのほか途中にカフェがあったり公園があったり学校があったりと休み休み進めました。
写真右が激戦区レッドヒル。
広東の田舎町か東南アジアの片隅のような雰囲気です。




のどかな平和っていいなと本当に感じます。
ただこの平和と戦争については色々思うことがあるのでインド旅行編ラストのまとめ記事で色々述べていきたいと思います。
一部始終は動画にしてあるので是非。
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次回はインパール編ラストです!
ではでは!