週末弾丸で客家人が多く住む龍川県というところへ行ってきました!
ここには秦の時代に現在の中国北部の陝西省から派遣されてきた将軍「趙佗」が開き現在の広東省にも多くの影響を与えたという興味深い街が残っています。

場所はこちら。
昔は鈍行で3時間、現在は高速鉄道で広州から1時間半。
中国の高速鉄道網は中々に凄い。
佗城古城とは?
- 秦の始皇帝が嶺南地方を平定した後、紀元前214年ごろに龍川県が設置され、佗城はその県治、つまり行政の中心地であった。
- 南越王・趙佗ゆかりの地。趙佗はもともと秦の将軍で、龍川県の県令としてこの地を治めた人物。南越王となり、佗城は趙佗が龍川を治めた時代の拠点とれる。
- 嶺南文化の形成に関わる重要な場所。
趙佗は中原から来た漢人文化と、もともと嶺南(現在の広東~広西)に住んでいた百越系の人々の文化を融合させる政策を行ったとされ、佗城はその出発点の一つと見られています。 - かつては東江流域の政治・経済・文化・軍事の拠点だった。
佗城古城の特徴
- 客家文化・嶺南文化・趙佗文化が混ざる場所。
- 広東東部らしい客家文化に加え、南越国や秦漢時代の歴史も感じられるのが特徴。
- 姓氏文化が非常に濃く佗城には多くの姓氏が集まっているとされ、「中華姓氏第一村」と紹介されることもあります。
このように先祖を祭る祠が町の至る所にあります。
一族の姓が門に書いてあります。


大小さまざまなので一族の実力によるのだろうと思われます。


廃村でもなくテーマパークでもないので現在でも普通に人々が暮らしており生活感に満ち溢れています。




町中の建築物を見ると秦の時代からそのまま残っている古代建築というわけではなく恐らく清の時代~中華民国時代に建造されたと思われます。
近代中国っぽさを醸し出す映画館が絶妙な雰囲気を出しています。


教育にも力を入れていたようでここで儒教などを学んでいたとか。
かなり面積も大きいのでここから多くの人材が育っていったものと思われます。




街を歩いているだけでかなり歴史を感じることができるので丸一日かけてゆっくり歩いてみましょう。街の南部には趙佗がドーンと鎮座しており、この町の方々が趙佗に対してかなりの敬愛があることがうかがえます。


ちなみに町中で聞こえてくる言語は客家語が多かったと思います。
龍川県がある河源は客家語話者が多いエリアなので不思議ではないですね。
動画も撮影しているのでぜひこちらをご覧ください。
次回はもう少しキラキラした大都会に行ってみたいと思います!
お楽しみに!