夜行バスでアゼルバイジャンの首都バクーまで一直線です。国境通過を含めて約10時間の道のりで一晩眠ればアゼルバイジャンの首都バクーへ到着です。

前日に手持ちのイランリアルがほぼ無くなってしまってました。残り1日で100ドルを両替するのももったいないので何とかやり過ごします。
食事はちゃんとしたおいしいペルシャ料理を食べるほどリアルが無いので激安ジャンクフードと屋台のちょっとした物で何とかやり過ごします。イランは反米ではあるもののアメリカっぽい手作りハンバーガーが街中で売っていて何気に激安でうまい。

なんと一日3食ハンバーガーをやってしまった。コーラとサラダのセットでも200円ちょっとだったからかなり助かりました。
バスの時間まで6時間ほどあるので夜までバザールをプラプラしたり公園でぼけっとしたりしてました。
いよいよイランともお別れです。非常に素晴らしい体験をできた国でした。
結論:イランでの生活はわからないが旅行するには最高の体験ができる素晴らしい国。
世界トップのおもてなしの国ではないかと思っております。その反面刺激を求めるバックパッカーには向かない国でもあると感じました。(僕は汚いとかゴチャゴチャなカオスを求めているわけではないのでマッチしてました)
イランで印象的だったのは政教分離をしていない宗教国家なのと敬虔なムスリムが多い少し保守的な政権のためか会う人には必ず君は何の宗教だ?と聞かれました。
私は素直に日本神道だと答えてました。事実ですし。まぁ世の中の多くのムスリムはほかの宗教も尊重しているので挨拶の代わりかなと思います。礼拝時間以外はモスクで昼寝してても歓迎してくれます。
あと聞かれるのは反米国家ならではでアメリカについてどう思うか?です。日本がアメリカの子分みたいな国だからなおさら聞かれることが多いです。
これも素直に超スゲー国だよ。武力も文化も金もなんでもあるんだぜ?と答えてました。たいていのイラン人は納得しています。そして必ずしも一般市民が超反米というわけでもなくアメリカの自由にあこがれている側面もありました。(イランは宗教縛りが結構厳しく宗教警察も街中に潜んでます。今どきの若者は世俗派が多いのでは?と感じることは多いです)
あと印象的なのは日本語ぺらぺら野郎が異常に多い。大都市だったら日本語だけでペルシャ語覚えなくても生活できるのでは?と勘違いしてしまうレベルです。
僕の世代(1981年生まれ)前後の人だと80年代~90年代は日本にイラン人が大量にいたのを覚えているかと思います。昔は日本とイランは相互ビザ免除協定がありしかもイランまで飛行機の直行便があったので出稼ぎ者が多かったです。彼らは帰国した後も日本に悪い印象は無いようでイランにいる日本人には親切にしてくれ色々助けてくれます。日本語も異常にうまい。東南アジアで日本語出来る奴に町で遭遇すると警戒してしまいますがイランでは日本人を騙す人間は少数だと思います。
さて、夜行バスに乗車します。
隣の席のアゼルバイジャン人のおっさん超イイヤツだった。
腹がへっているというとなぜか食べ物をいっぱいくれた。英語が全くできないので僕の超低レベルなカタコトロシア語で会話をする。
前に座っているジョージア人のおっさんもビールを分けてくれた。イラン国内ではご法度なんですが海外へ向かう国際バスの中なのでいいのか!? ワイン発祥の地ジョージアは酒飲みが多いと聞くがさすがだなー。アゼルバイジャンの次はジョージアにも行く予定です。
ところでバスの車内はアーザリー語でもなくペルシャ語でもなく全てロシア語だった。
おそらくグルジア人とアゼルバイジャン人に同時に分からせるためなんだろう。
どっちも旧ソ連なのでロシア語は準共通語のようなもの。
とりあいず前日はいろんなこともあって寝ていないので
バスではぐっすりです。
朝には国境へ到着だー!
ではまた!
ホダーハフェズ