日本軍

久しぶりに中国を離れ魅惑の東南アジア旅行開始-フィリピン編④太平洋戦争跡地コレヒドールへ

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これは2013年佛山市在住時の出来事。フィリピン旅行中です。前回ブログまではバナウェのライステラスをメインに書いておりました。もちろん今回のフィリピン旅行でのハイライトでしたが夜行バスでバナウェからマニラへ戻ってきた時点で休みはあと3日ありますので引き続き観光を続けます。

どこの国にとっても同じですが本土に近い離島や湾の入り口にある島というのは要塞化したり防衛最前線となったりしていますがまさしくコレヒドールはそんな島です。

フィリピン地図

スペイン統治時代はマニラ湾へ入る船に対しての検問所、1902年からアメリカが要塞化。そして1942年日本VSアメリカの結果日本の手に。この時にマッカーサーもいてオーストラリアに逃れる際に言ったill be backというセリフが有名です。見学は単独での上陸はできないので直接港の窓口で申し込みます。

いかにも要塞島と言ったところです。砲台や軍が駐在していた建造物。塹壕などがあります。中々ジョーダンばかり言っているふざけたフィリピン人のおっさんガイドが先導してくれます。

フィリピン旅行 コレヒドール

日本軍がアメリカからこの島を奪い取った時に日本兵たちが万歳をしていた砲台の横で自分も万歳をさせられます。まぁ戦後かなりの時間がたっているので特に問題も無いでしょう。アメリカ人観光客グループは怪訝そうな顔でこちらを見ていましたが。

フィリピン旅行 コレヒドール

アメリカ軍も日本軍もフィリピン軍も若くして戦地に行かされ祖国へ戻ることなくここで眠っている人も多くいると思いますのでふざけすぎないようにしましょう。敬意は大事。

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要塞跡地は過去にも色々見ていますが独特の何か重たい空気を感じる瞬間はありました。

祖国の発展の為に戦った方々に敬意を払い冥福を祈ります。民族の平和と発展=世界全ての人の平和という図式が中々成り立たない難しさを感じます。アメリカ兵も強いアメリカのために全力を出し日本も国の防衛とアジアの発展のためという旗印のもと全力を尽くしました。

しかしながら弱ければ強いものに飲み込まれるという図式は当時とは形を変えど基本的には変わっていないような気がします。

今回のブログはここまで。

次回はフィリピンの旧市街インロラムロスと郊外の景勝地、タガイタイに行ってまいります。

ではでは!

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