これは2013年佛山市在住時の出来事。前回は移動で終わってしまったのですがいよいよ黄河のてっぺんを目指します。
・・・・しかし、高山病が悪化し続けてます。筋肉量が一般男性の1.5倍もある僕は恐らく人一倍酸素を必要としているのかもしれないです。結局一睡もできませんでした。
前日のチャーターする車の割り振りで若い子のグループと一緒に行動をすることになっていました。朝部屋をノックする音に目を覚まされます。若い子グループの一人南京テレビのアナウンサーの子が部屋まで迎えに来てくれました。高山病で前日からぐったりしていたので心配になっていたとのことです。
メッチャ良い子だなぁ。
いよいよ地元民が運転するジープに乗って出発です。酸欠に乗り物酔いが上乗せされ昨晩食べた四川料理を全てリバースしてしまいました。なんでみんな何ともないんだよ?
村から1時間半ほど車を走らせます。黄河は小川が2つの湖を通過して少しずつ大きくなって大河に変貌していくようです。この2つも湖も中々の絶景でした。

絶景は良いのですが頭痛が激しく中々楽しめません・・・アナウンサーの子が常に横にいてくれます。本当に親切な女性です。

山脈と草原と湖です。まさしく秘境と言った面持ちです。赤い絨毯のようになっているのはおそらくロディオラという植物だと思います。チベット地域では時折見かけるものです。黄河はその名の通り黄色く濁った川なのですがここでは上流に位置しているせいか湖も近くの小川も澄んだ透明でした。

こういった湖や山の近くにはチベット系の何かを祭っているものが必ずありますがチベットの仏教信仰は何か自然振興に近いシャーマニズムを感じることが多くあります。
さて、本当の源流のてっぺんは非常に奥地にあるため、大体の位置の所へ記念碑が建てられています。僕も含め多くの旅行者はここで記念撮影をして源流に来たということにしています。僕も高山病が無ければ奥地まで進んでいたと思いますが限界なので記念碑で良しとします。実際に近くを流れている小さな川が黄河だと知った時はかなり感動しました。

そしてこのエリアで使われる文字は基本的にはチベット文字です。元々はこの近辺もチベットでした。たしか「カム」と言われていたはずです。
因みに今のチベットは漢字で書くと「西蔵」です。蔵というのはチベットの事を指しているのですが元々チベットは現在の四川省の西側や青海省の西南部、雲南省の北部も含んでいました。したがって何故「西蔵」なのかといいうと元々のチベットの西側だからです。なので正確に言うのであれば「西チベット」ということになりますね。
世界地図というのは年代によって大きく変わります。時代ごとの民族の力関係によるので僕は現在はこうなんだなと善し悪しの話では片づけられない難しい話であるんだなと考えております。
観光を終えて一晩寝てこの村をすぐに離れようと思います。正直体が悲鳴を上げっぱなしです。
次回は超秘境!黄土高原の小さな町、貴南です!
ではでは!